川井郁子

REPORT

川井郁子 PREMIUM VIOLIN CONCERT LUNA in LUNA
ライブレポート

Date of Release

2024.7.12 Fri.

<<祈りに満ちた至福の時間 「芦屋文学と音楽」テーマに、特別プログラム>>

 バイオリニスト川井郁子の6年ぶりの芦屋公演「PREMIUM VIOLIN CONCERT LUNAin LUNA」(2024年6月22日)を聴いた。「LUNA」(月の女神)をアルバム名にもしている川井と、ルナ・ホール。二つのLUNAの出合いに期待を膨らませながら。今回は、地元ゆかりの作家や文学作品にまつわる名曲を楽しむルネサンス・クラシックスのシリーズ企画「芦屋文学と音楽」にちなんだ特別プログラムで、川井の新たな魅力が存分に楽しめるステージとなった。



 開演の調べは『ポル・ウナ・カベーサ』(1935年の映画「タンゴ・バー」挿入歌)。初夏の六甲山をイメージさせる濃緑色のドレスで登場した彼女は、「『芦屋文学と音楽』というテーマは、私にとって初めての試み」と、少し緊張した面持ちで語った。「芦屋ゆかりの作品といえば、何といっても谷崎潤一郎の『細雪』。私はあの映画が大好きで何度も観ました」と話し、「物語も映像も、これぞ日本の美しさ―という映画」と絶賛。市川崑監督の1983年の東宝映画でテーマ曲になったヘンデルの『ラルゴ』を披露した。全身をしなやかにくねらせて奏でる優雅な『ラルゴ』は、主人公の四姉妹が京都の花見を楽しむ美しい映像を脳裏によみがえらせてくれた。川井郁子という演奏家のステージは、聴くだけでなく、観る魅力にも満ちているのだとあらためて感じ入る。


 バッハ『主よ、人の望みの喜びよ』は、村上春樹の短編「中国行きのスロウ・ボート」に登場する。主人公が口笛で奏でたように、メロウに弾いてみせた。もう一曲は、ヴィヴァルディのバイオリン協奏曲『四季』から第三楽章「夏」。ポップなピアノの編曲が作品の劇的要素を際立たせ、聴衆のボルテージを一気に引き上げた。
クラシックやJ-POPのみならず、スポーツ界でも多彩にアーティストらを支えて定評あるピアニスト塩入俊哉と、他ジャンルへと「越境」の音楽活動を進化・深化させる川井の見事なコンビネーションが、クラシックの名曲に異次元の魅力を醸し出していく。
 芦屋が誇る名建築で、米の世界的建築家F・L・ライト設計の旧山邑邸(ヨドコウ迎賓館)にちなんだ曲もあり、ライトが活躍した時代へと、ガーシュインの名曲メドレーでいざなってくれた。低音から高音域へと移ろう『サマー・タイム』の歌うような演奏は、ひときわ印象的だった。物語を読み聞かせるように優しく奏でた『虹の彼方に』も。「ドキドキしつつ、どれもいい曲だなぁと思いながら、メロディーに身をゆだねています」と、静かにほほ笑んだ。文学ゆかりの曲の最後は、野坂昭如原作の映画「火垂るの墓」から『埴生の宿』。「一番泣いた映画です」と振り返り、「日本は平和になりましたが、今もあの映画の中の子どもたちは、世界中にいるのだということを忘れないでいたい」。そう言って、初めて弾くという『埴生の宿』を静かに奏でた。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の難民サポーターを務める川井の、それは祈りに満ちた演奏となって響いた。前半最後はタンゴの革命児ピアソラの『リベルタンゴ』。ピアソラは、川井がクラシックを離れた世界を見つめるきっかけになった作曲家だ。リズムに乗って全身で弾き上げると、弓を高々と頭上にかざす美しいフィニッシュで第一部は終わった。

 

 後半は、海を思わせる淡いブルーの衣装に着替えて、エルガーの『愛の挨拶』で名曲集が始まった。シャンソンの女王エディット・ピアフ作詞の『愛の讃歌』と『群衆』では、永遠に、刹那に、激しく燃え上がる愛を歌うように弾く。何度も「歌うように」と書いてきたが、かつて川井自身、「初めてシャンソンを弾いたときに、いつも私は歌っているような心地でバイオリンを弾いていたんだなぁということに気づいた」と、語ってくれたことがある。「シャンソンは役になり切って歌う。私も曲の世界に浸って、歌うように弾くのが好きです」 名画の名曲も続々登場した。
オードリー・ヘプバーンとグレゴリー・ペックのロマンティック・コメディ「昼下がりの情事」から『魅惑のワルツ』。そして、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ主演の『ひまわり』のテーマ。映画を象徴する一面のひまわり畑の下には無数の兵士の亡骸が眠り、このシーンがウクライナで撮影されたことを紹介して、切なくも、深い祈りを込めた音色で会場を包み込んだ。アイルランド民謡『ロンドンデリーの歌』(別名「ダニーボーイ」)もまた、戦地に息子を送り出す母が歌う曲として紹介して弾いた。母の祈りは、そのまま川井の日々の活動への思いに重なって響いた。
 終盤の名曲メドレーは高校時代の思い出の曲で、超絶技巧の連発。全日本学生音楽コンクールの課題曲で西日本一に輝いたメンデルスゾーン「バイオリン協奏曲ホ短調」では、テクニカルなカデンツァを披露し、サラ=サーテ『チゴイネルワイゼン』では弾き終わるや「ブラボー!」の声が飛び交い、懐かしい時間を旅するように弾いていた川井は、この日一番の笑顔を見せた。プログラム終曲のモンティ『チャルダッシュ』では、ジプシー音楽ならではの盛り上がりを会場の空気に乗せて、最高潮の終演となった。


鳴りやまぬアンコールの拍手に再登場すると、「子どもたちが夢を持って生きていける世界でありますように。祈りを込めて弾きたいと思います」。そう言って、静かに奏でた『アメイジング・グレイス』の旋律は、いつまでも心地よい余韻に浸らせてくれた。この日のもう一つの相棒で、幾星霜の時代を見てきた1715年製ストラディヴァリウスとともに、選曲と演奏に滲ませた平和への思いは、彼女の音楽を超えた魅力を浮かび上がらせるとともに、聴衆、いや観衆の琴線に激しく触れたにちがいない。

 

TEXT/PHOTO:「芦屋文学と音楽」ナビゲーター 冨居雅人

ARTIST

◆出演:川井郁子、塩入俊哉(ピアノ)

 

<第1部:芦屋特別プログラム>

谷崎潤一郎「細雪」関連作品

ヘンデル:ラルゴ

シューベルト:野ばら

野坂昭如「火垂るの墓」関連作品

H. ビショップ:埴生の宿 Home, Sweet Home

村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」関連作品

J.S. バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」

建築家フランク・ロイド・ライト関連作品

ジョージ・ガーシュイン・メドレー

H. アーレン:虹の彼方に

 

<第2部>

モンティ:チャルダッシュ

M. モノー:愛の讃歌

アイルランド民謡:ロンドンデリーの歌

ピアソラ:リベルタンゴ

ヴァイオリン名曲メドレー

SCHEDULE

◆2024年6月22(土)(14時開演)※開場時間:13時30分

◆ルネサンスクラシックス芦屋ルナ・ホール

兵庫県芦屋市業平町8-24

◇JR芦屋駅より徒歩7分 ◇阪急・芦屋川駅より徒歩7分 ◇阪神・芦屋駅より徒歩8分

ABOUT

主催:RENAISSANCE CLASSICS

後援:神戸新聞社、ラジオ関西、芦屋市民会館

 

PROFILE

川井 郁⼦

ヴァイオリニスト 作曲家

 

香川県出身。東京芸術大学卒業。同大学院修了。現在大阪芸術大学教授。

国内外の主要オーケストラをはじめ、世界的コンダクター チョン・ミンフンや世界的テノール歌手ホセ・カレーラスなどと共演。さらにジャンルを超えてジプシーキングス等のポップス系アーティスト、バレエ・ダンサーの熊川哲也、フィギュア・スケートの荒川静香らとも共演している。

ニューヨークのカーネギーホールや、パリ・オペラ座、ワシントンD.C.で全米さくら祭りへの出演、中国・西安にて日中平和友好条約締結 40 周年記念イベント開幕式コンサートに出演するなど国内外で活躍。作曲家としてもジャンルを超えた音楽作りに才能を発揮。TVやCM等、映像音楽の作曲も手がける。フィギュアスケートでは羽生結弦選手や荒川静香選手、ミシェル・クワン選手等、国内外の選手に楽曲が数多く使用されている。第36回日本アカデミー賞で最優秀音楽賞を受賞。また、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の紀行のテーマを担当。CDデビュー20周年記念として、2021年に新国立劇場で音楽舞台「月に抱かれた日」、2022年に和洋混合オーケストラ「響」を結成し、オーチャードホールにてコンサートを行い、各方面より絶賛された。社会的活動として「川井郁子マザーハンド基金」を設立。また全日本社寺観光連盟親善大使、国連UNHCR難民サポーターを務める。

2023年3月にオーケストラ響のデビューアルバム「響」を発売。

9月にはNYリンカーンセンターでオーケストラ響として初の海外公演を行い、現地の方々から大絶賛された。

 

使用楽器:ストラディヴァリウス(1715年製 大阪芸術大学所蔵)

塩入俊哉

「悲しみを癒やすピアニスト」

東京都出身。桐朋高校(国立市)、国立音楽大学大学院音楽研究科修了。

西城秀樹、稲垣潤一らのツアーやレコーディングの音楽監督をはじめ、世界的なオーボエ奏者である宮本文昭、木村弓、米良美一、本田美奈子、藤澤ノリマサ、古川展生、サラ・オレイン、キャサリン・ジェンキンス、ラッセル・ワトソンなど様々なネオクラシックアーティスト、杉田二郎、因幡晃、KATSUMI、中村あゆみ、松原健之らj-popのアーティスト達にクオリティの高い音楽制作を通してその活動を支えている。

メダリスト・オン・アイス2008〜2023では音楽監督をつとめ、羽生結弦選手や高橋大輔選手とソロピアノでコラボを行う他、俳優 田村亮、紺野美沙子等との朗読コンサートなど、他ジャンルとの交流も増えている。2000年作曲作品が文化庁芸術祭新人賞を受賞。繊細で大胆な自身のピアニズムを基本として構築するアルバム作りやコンサートの制作は他者には無い大きな特徴である。

冨居雅人

神戸新聞社 経営企画局 教育事業戦略室長
1998年、現代人の弔いの風景をルポして関西写真記者協会グランプリを受賞。2003年、絶滅危惧種を追った連載の単行本化で兵庫県の井植記念文化賞を受賞。解説委員、映像センター長などを経て現職。甲南大学非常勤講師